「天国は待ってくれる」雑感

今更ながらのエントリー。
毒吐き気味なので、いやな予感がする方はスルーでお願いします。
先行上映会の後、実のところあまりしっくり来なくてもう一度一人で見に行こうと思っていたんですが、
とうとう行きませんでした。


先日上京した際にパンフレットだけは買ったんですが、
(先行の時はまだ売ってなかった)
その時、一緒にいた同じV6ファン、井ノ原氏担の二人が「観てない。観た方がいい?」と口を揃えて言ったのが印象的。
(結局一緒にパンフレットだけ買いました)


ここまで自担の足を止めるものはなんなのか…
そんなことを考えてしまってなかなかエントリーが書けませんでした。
色々自問自答して思い当たったのは以下のこと。

  • 井ノ原氏の役柄がステロタイプの「いい人」だった
    • あてがきされたという割に、一般的(表面的)な井ノ原氏のイメージの役柄だった。その段階で脚本家はあまり井ノ原氏のことを書きたいわけではなかったのかなと。長いファンからすると「ああ、またこういうのか」という印象も。(あてがきっていうのは、先日の新感線「朧の森に棲む鬼」の阿部サダヲみたいなことをいうのではないか)
  • レコード会社の主眼が清木場氏というのが見て取れて萎えた。
    • 井ノ原氏を主演としておきながら、主題歌も主題歌のPVも清木場氏中心で、W主題歌といいつつも発売予定もなし。この時点であきらかにソロになった清木場氏の売り込みのための企画か…と消沈。
  • 三角関係のカタルシスを感じるエピソードが少なすぎる…。
    • どうも全体的に私の不満は脚本にあるような気がしますが(そもそも同作者の作品はほとんど興味がない)、小説版にすらあるエピソードが削られていたというのがなんとも。少ない幼少時の回想シーンから推測してくれ的な処理で、せめて学生時代のエピソードくらいがないと、盛り上がってこない。特に薫の選択の裏づけがほとんどなくて困惑しました。本人たちによる回想シーンがないあたりにも、出演者側の事情が絡んでいる気がしてなりませんが。むしろ親世代の方がチラリズムでも色々想像が膨らむ設定でした。


上映中は一応泣けるには泣けたんですが号泣まではいかず。
一番泣けたのは「春を待つ」が流れている辺りの、武志回復を信じる人たちの日常が淡々と流れているシーンでした。
次点、「俺後どれくらい生きられる?」…「一ヶ月だ」「ありがとう」のシーン。
一番観たいと思っているキャラクターに感情移入していたせいでしょう。


↑でも少しふれましたが、親世代のバイプレーヤーのみなさんがいい味出していました。どうせなら親世代の時のエピソードと子どもたちのエピソードがもっとシンクロするようなシーンか台詞が欲しかった。それがあれば、宏樹と父親のシーンがもっと生きてきたように思うのに。
そういう意味では「世界の中心〜」の山崎さんの使い方は秀逸だった。


観終わった後、「三角関係っていうと…」という話になり、
旦那は「すくらっぷぶっく」、
私は「タッチ」「生徒諸君」を挙げたんですが、ここにジェネレーションギャップをちょっと感じたり。
…後で他のところでこの話題をふったら、「生徒諸君」を知らない、といわれて更にショック。
男二人、女一人の三角関係のうち、決着がつかないうちに男が一人死んでしまう。
その後に残された二人の葛藤が「タッチ」も「生徒諸君」も描かれているわけですが、
(生徒諸君はいまだにその難題に取り組んでますね)
この映画ではその死んだはずの人が残された人たちのわだかまりを解くために復活してくれる…。
ファンタジーだなぁと。
ただ、そんなファンタジーを求めたくなるほど、中途半端な思いを抱えたまま残された人間が生きていくのは辛い事なのだ、と。
黄泉がえり」「世界の中心〜」「いま会い(観てないですが)」…どの作品についても感じていたことですが、
改めてそんなことを考えてしまいました。


私はその辛い現実を受け入れてがんばっている人の方が好きなので、
そこが多分一番共感し辛いところだったのかもしれません。



ああぁぁ。やっぱり強烈に毒吐きですね。
でもこれで少しまとまってすっきりしました。
DVDになった時、「春を待つ」が入っていれば、長編PVと割り切って買うつもり…のrikuzaiでした。